彼女が欲しいなら自分を磨けばいいじゃない!!

社会人未満

恋に仕事に友達にと全く足りてない人間の読書とか考え事とかそういうブログ

二時間前にブログ再開しますという旨の記事を書いたのだが気に入らないのでもう一度書く

こんなんじゃだめだ。

 

そう二時間前に書いた”ブログ再開するよ!”との旨の記事を下書きに戻した。

伝えたいことがをうまく表現できなかったとかつまらない記事になったからとかそのような理由ではない。

寧ろ久々に書いたにしては、ウィットに富んだジョークを交えつつ伝えたい事を伝えられた2000文字を超える大作だと、自分では思っていた。

だが気に入らない。

正確に言うと気に入らなくなってしまった。

 

二時間前にブログを書き上げた後、僕は以前お世話になっていたブロガーさんの様子を見に行っていた。

 

中にはこのブログを休んだ四か月の間に更新が止まっている方や、ブログを閉鎖された方もいた。

「閉鎖される前に一回くらいコメントすればよかったな」と少し悔しい思いも持ちながらほかのブログも巡回していくと一つ以前毎日更新を楽しみにしていたあるブログにたどり着いた。

 

そのブロガーさんはほぼ毎日ブログを更新している方で、読書記事や、読書の内容を日常に当てはめた考察、読書で培われた知的なネタ記事等を更新している好きなブロガーさんだった。

そのブログを覗くと僕が休んでいた四ヶ月間休まず毎日記事を投稿していた。

それを見て僕は二時間前に書いたPDCAをもじった軽快なジョークを交えた記事を下書きに戻した。

 

こんなんじゃだめだ。

 

そう僕は悔しさとふがいなさを感じた。

僕はその記事で次のような旨を書いていた。

 

「ブログを始めて数か月すると自分のためにブログを書くことができなくなってしまった。もっと僕は自分の気持ちを、心のもやもやをメンヘラのごとく書きなぐりたい。そんな自分語り上等のブログをこれから書いていくけどよろしくねぇ~」

 

つまりブログをチラシの裏の落書きとして使おうとしていたのだ。

 

僕は自分を恥じた。

僕がブログを”書くことがつまらなくなった”と休んでいた四ヶ月の間も、彼は毎日毎日ためになる情報を読書で培い、持ち前の文才で面白く発信していたというのに。

自分語りをすると堂々と宣言する志を、そんな自分の志を恥じた。

 

なぜ僕がそのようなブログをしていこうと宣言したのか、その理由は恥ずかしいので下書きに封印しておくが、キーワードとしては「諦め」である。

 

僕はこのブログで

非モテ

・コミュ障

・能力の低さ

についての自己啓発をしてきた。

その自己啓発活動では出来るようになったこともあったが、だからと言って自分が何か幸せになったのかというとそんなことはなかった。

 

別に自己啓発活動が無駄というわけではなくて、僕の場合不幸せの本質が何かを出来るようになる事で幸せになれるのではなく、もっと心の問題

例えば、劣等感、自意識過剰等

だから何かが出来るようになっても、別の出来ないところに目が行ってしまい堂々巡りだった。

 

そんな僕は「諦め」ということを知る。(執着を無くす的な) 

仏教にある諦観や、相田みつを氏の「人間だもの」のような考え方だ。

いまだ勉強中ではあるが最近はこのような考え方をしている。

 

しかし僕は大きな間違いをしていた。

それは「人が何か気持ちを動かすようなものを作りたい」という僕の発信の根本すら諦めていたことだ。

だから

チラシの裏に書きなぐったことを皆読んでねー」

など狂気じみたことを言えたのだ。

 

僕はブログを通してみんなの何かになるものを書きたいのだ、ということを彼のブログを読み改めて認識した。

 

僕は正直文才がない。それは過去の記事を見ればわかるとおりだ。

だからと言って恋や仕事、友人関係の何かで秀でていて皆に伝えられることがあるわけでもない、社会人未満な人間である。

そんな社会人未満な僕であるが今の気持ちを大切にこのブログを再開したいと思う。